航行記 ── 第一期(二〇〇六年三月 ── 二〇〇八年二月)
(一)はじめに ── 信用に足らない人物 数年前 ── というのが、おそらく十年に近いくらいの前になりますが ── 私の父を彼の小学校の同級生が訪ねてきました。父は一九三一(昭和六)年生まれで、そのときふたりは六十代後半であったはずです。父の友人は小売店を営んでいたのを息子に継がせたのだったか、それが用件であったのか、余談であったのか、ともあれ、用件を済ませての雑談のなかで、彼は部屋の壁ぎわにあったオーディオ・セットの上に乱雑に積まれた大量のCDの表題を見やりながら、父に「きみもこういうものを聴くようになったのかい?」と訊ねました。「こういうもの」といって彼が最も注目していたのは、そこにも一緒に置かれていたELOやXTCやデヴィッド・ボウイなどではなく、クラシックのもので、しかもベートーヴェンやブラームス、ワーグナーというよりは、特にマーラーの全交響曲のCD(バーンスタインの二度目の全集のすべて、とその他の指揮者何人かの数枚)だったらしいんですね。父は「いや、ここにあるものはみんな息子のだ」と答えました。それで父の友人は私の年齢 ── 一九六三(昭和三十八)年生まれ ── やらなにやらを訊いたようなんですが、彼は「いや、私はその年齢でマーラーを聴くのはよくないと思う。私はようやくいまの年齢になって聴きはじめて、魅力も感じているのだが、息子さんがこういうものにいますでに耽溺しているようなら(しかも、このCDの様子から、昨日今日聴きはじめたのでもないだろう)、私はどうしても彼を信用に足る人物と思うことはできなさそうだ。たとえば、私に娘がいたとして、きみの息子さんと結婚したいといってきたとすると、それを認めるわけにはいかないだろうなあ」といったらしいんです。それを後で父が私に話したわけなんですが、私には父の友人がなにを感じたのか、すぐにわかりましたし、それは実にもっともなことだと思いもしたんでした。その通りに父にもいいました。で、私は結婚前に、妻にもこの話をしたんです。彼女がそれで、この話をどう理解したのか私にはわかりませんけれど、とにかく話しましたっけ。 ── と、いま私がこう書いても、読んでその通りだとうなずくことのできるひとの少なそうなことは予想できます。 私はマーラーの曲をたぶん十歳くらいから(ベートーヴェンやモーツァルトを聴きはじめるのとほぼ同時期から)ずっと ── かれこれ三十年以上 ── 聴きつづけています。それだけの年月でさえ、あまり出会うことのないクラシック好きのひと(しかもマーラーが好きだというひと)にそういって、ひどく驚かれたこともあります。そこで、私は、多くのクラシック愛好家 ── もしかすると、ある年齢以上の、と限定をしなくてはならないかもしれませんが ── にとってマーラーという作曲家がどのような位置づけであるのかを逆に理解する(つまり、彼らにとってもクラシック音楽を聴きはじめるのがどれだけ遅いのか、また、さらにそれからマーラーに行き当たるのにどれだけの年月を必要とするのか、そうして、その出会いがどれだけ特別なものであったか)ことにもなるんですが……。 このことが、私がこれから書きつづけることの主題のひとつになるだろうと思っています。 また、先日偶然にも、私が日中に考えていた ── どうして考えていたのか、思い出せませんが ── 永井均のある文章のことを、妻(彼女自身はこの本を読んでいなくて、私がこの文章のことをかつて妻に話したことがあるんです)がまさにその夜に話しかけてきて ── それが私を批判するために、だったかどうか、そうじゃなかったと思います ── 驚いたんですが、当の文章を引用すると
これも私の主題につながるはずです。 もっとも、私はここで書きつづけることの全体を自己紹介に費やすつもりではないんです。 |